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昨日、映画を見に行った
私には愛を信じることが必要なの❤
なんて言いながら、実はけっこう切実に(笑)そう思って見に行ったのに、
逆に、痛みを覚えて帰ってきたという顛末(;-;)
外に求めず、自分で生み出せってことか、と
ふと、昔のノートをひらいた。
少し長い
めんどうだったらとばして
(ほんとはもっと長いんだけど 笑)
2005年11月27日
(すごい。ちょうど4年前の今の時期だ・0・)
ぬいぐるみの猫をなでて泣く心境
黒猫を膝にのせて、その暖かさを欲する乾き
草花、星々、欲するのはどれも、人間にあらざるもの
その中に何を見る
自分を相対化してこないものの中に、丸裸の自分を見るのか
素顔の自分を見つけ、その事実を嘆くのか
見たいものだけを見たいと、誰もが願い欲するだろうに
それを、必死でもがき苦しむことでなにか真実を見つける目を養い、
求めるものを得ようとしながらも、
すれ違う日常にあきらめの笑顔を向けていく毎日は、
確かな孤独と悲しみを、人の心に植えていく。植えつけていく。
私の存在があいまいに生かされる世の中に、
確かなものが、欲しかった。
プラスチックのペットボトルみたいに
放り投げられて、また、再生する。
絶対価値がおかれない、代替可能な存在でいたくなかった。
少なくとも、私がわたしでいられる理由が、
わたしがわたしとして、この世の中に、必要とされている証が欲しかった。
どんな理由でもいい。
わたしを、漠然とした自由の中に放り出さないで。
あいまいな世の中に投げ捨てないで。
生きていく必然性をぼやけさせないで。
いてもいなくても、かわらないような気がして。
存在が根本から、砂になる
生きる必然性がどこにある
誰だって、楽なほうに行きたいのさ
生きることの息苦しさ、言い知れない重圧を知ったなら、
誰だって死くらい考えるよ、違う?
TOEICのテスト日とか、お金の投げ捨てとか、
社会的な義務に見える行動とか、形を成す行動をしないことへの批判とか
そんなものいらない。
必要なかった。私の生に関して。そんなのは、付属品でしかない。
乾きの根源を知りたい?
愛されていないことだよ
自分は何のために存在するのか。
雑用をこなす便利屋として?単に、役に立つから?
だとしたら、捨てられる。代替可能な物体。
そんなつながりを超えた、
私を確かに、この世につなぎとめる何かを求めてた。
自分がどんなになっても、愛してくれる?
すべてへの反抗。その理由は、この問いなのでは?
乾くって、そういうことでしょ?
物質関係を超えた、確かな、信じられるつながりを欲してた。
でなきゃ、私はこの世にいらないでしょ?
なんのために、生きてくの?
わたしのいる意味を求めて、
わたしをこの世界につなぎとめる網を探して、
わたしは、さまよっていた。
ふらふらと。
あいまいに。
かわいてて。
かなしくて。
原文そのままのせましたー
推敲して書いてるわけじゃないから、
わけのわからないところもあるでしょうけど(^^)
これはやっぱり、私の人生の中で、いちばんしんどい時期だったかな
ただ、昨日読んだときに感じたことは、
とても、穏やかでいられたこと。
そのあとわたしがやったことは、
家に来た人はわかると思うんだけど、部屋に真っ白なテディベアがいるのね。
それを私自身だと思って、心の底から抱きしめた。
「あなたがどんなになっても、あなたを愛してるから」
そうして、当時の私と一緒に、泣いた。
そう言ってほしかった一番の相手は、私自身だった。
自己嫌悪は、自分で自分を見捨てる。
だから必死で叫んでたんだ。
「どんなになっても、私を愛してくれる?」って。
自分が認めようとしないから、外に存在を探した。
誰かに受けとめてほしかった。
自分がここにいることも。ここに生きていることも。
読んでいて、穏やかでいられたのは
そのことがどこかで、わかったからなのかもしれない。
友達の妹さんが、「私、私のこと大好き!」って言ったらヒカれたらしいけど(笑)
今ならわかるかな。それが自分の基盤になること。
わたしも、「私の最愛の人はわたしです!」って、言ってみようかな(笑)