The kitchen of my life
歌が好き
ベリーダンスが好き
おいしいものを食べてるときがすっごく幸せ♥
ものを書くのが好き
本を読むのも好き
花が好き 緑が好き
自然素材のものに囲まれていると幸せ
でも、この世界がまるごと好き
人を幸せにしたい
もちろん自分も含めてね♥
どんなブログになるのか
私も楽しみです☆
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今日、イギリスから帰ってきたニート仲間と遊んだ(笑)
彼女って、素敵な目をしてるなあ、って、いまさら気づいてみたり。
自分が今最もテーマにしている事柄を
彼女はすでに生きてきてたんだよね。
本人は気づいてないかもしれないけれど
それがまた、すごいなあって感じたり。
でもって、ああわたしばか!とか言って
寝た(笑)
また人と比べてるよー
私は私の進度があるじゃなーい
くせになってるわよー
なんて言い聞かせながらさっき起きて
起きがけのぼーっとしたときの状態って
きっとお酒飲んだときとおんなじ状態なのかなーって思ったり
(↑飲めないやつなもので)
なんか、いろんなものはずれるというか
それを素と言っていいのかどうかわからないけど
とりあえず、思考は外れる、頭では考えてない。
だから、感情だけの子どもみたいになる。
それを素といっていいのか、
はたまた動物的というのか、
原始的に思えるから、賢くなろうとしてその状態を抑圧しているだけにも思えたり
けれど、それも認めてあげないことには私になりきれない気もしたり。
↑こういうのは、振り返ったときに出る言葉であって
そのときは、感情だけがおしよせてくる、それだけのことなのだけれど。
それで、それがきつい!って思ったり、
こんなんだらだらしてたってしょうがないわ!って思って、
意識を違う方向に切り替えて時間を過ごそうとしたりする。
けど、今思ったけど、
意識を切り替えたところで、その感情は消えないよね。
たとえばそれで、仕事をしたとしても。
たとえば、歌いまくったとしても。
前者の方法は奨励されるけど
感情の行き場所は、結局ないか。
この方法が有効なのは
どうしてもやらなければいけないことが目の前にあるときか。
そうしなければ、崩れそうになるときとか。
それで自分を保ったりもするけれど
おそらく、ふたをしてきた私自身に再会しに行くこと以上に
大切なことは、おそらく、そうそうないのだろう。
どんなときでも笑えること強さだって
それで自分を支えてきたつもりだったけど
それにも限界はある
笑えなくてもいいんだよな
早く抜けたくて、やっぱり笑いたくもなるし
というか、感謝を忘れてるんだ、とか感じて
感謝してみると、自分がもっともっと無防備になって
素直になりすぎて、だから周りからの扱いは優しくなるけど、
素直であることへの恐れも自分はどこかで感じて
それは、優しさに敏感になる状態でもあるけれど
簡単に傷つきやすい状態でもあって
だから、それはほんとうの優しさにはならないとか思って、
強くあれ、とか感じたりして
考えすぎ?なのかな
うん、考えすぎで、
戻るところは結局
私が私になることだから
それがどういうことなのかは
こんな毎日を通して、少しずつ教えてもらってる
そんな気がするにゃん
いっつもわたしの書くことって
結論ないんだよね
吐き出しておしまい
それで納得して終わりも自己満足だけど
それで吐き出して、
準備運動にしてるのかもしれない
イチローっぽい(笑)
彼女って、素敵な目をしてるなあ、って、いまさら気づいてみたり。
自分が今最もテーマにしている事柄を
彼女はすでに生きてきてたんだよね。
本人は気づいてないかもしれないけれど
それがまた、すごいなあって感じたり。
でもって、ああわたしばか!とか言って
寝た(笑)
また人と比べてるよー
私は私の進度があるじゃなーい
くせになってるわよー
なんて言い聞かせながらさっき起きて
起きがけのぼーっとしたときの状態って
きっとお酒飲んだときとおんなじ状態なのかなーって思ったり
(↑飲めないやつなもので)
なんか、いろんなものはずれるというか
それを素と言っていいのかどうかわからないけど
とりあえず、思考は外れる、頭では考えてない。
だから、感情だけの子どもみたいになる。
それを素といっていいのか、
はたまた動物的というのか、
原始的に思えるから、賢くなろうとしてその状態を抑圧しているだけにも思えたり
けれど、それも認めてあげないことには私になりきれない気もしたり。
↑こういうのは、振り返ったときに出る言葉であって
そのときは、感情だけがおしよせてくる、それだけのことなのだけれど。
それで、それがきつい!って思ったり、
こんなんだらだらしてたってしょうがないわ!って思って、
意識を違う方向に切り替えて時間を過ごそうとしたりする。
けど、今思ったけど、
意識を切り替えたところで、その感情は消えないよね。
たとえばそれで、仕事をしたとしても。
たとえば、歌いまくったとしても。
前者の方法は奨励されるけど
感情の行き場所は、結局ないか。
この方法が有効なのは
どうしてもやらなければいけないことが目の前にあるときか。
そうしなければ、崩れそうになるときとか。
それで自分を保ったりもするけれど
おそらく、ふたをしてきた私自身に再会しに行くこと以上に
大切なことは、おそらく、そうそうないのだろう。
どんなときでも笑えること強さだって
それで自分を支えてきたつもりだったけど
それにも限界はある
笑えなくてもいいんだよな
早く抜けたくて、やっぱり笑いたくもなるし
というか、感謝を忘れてるんだ、とか感じて
感謝してみると、自分がもっともっと無防備になって
素直になりすぎて、だから周りからの扱いは優しくなるけど、
素直であることへの恐れも自分はどこかで感じて
それは、優しさに敏感になる状態でもあるけれど
簡単に傷つきやすい状態でもあって
だから、それはほんとうの優しさにはならないとか思って、
強くあれ、とか感じたりして
考えすぎ?なのかな
うん、考えすぎで、
戻るところは結局
私が私になることだから
それがどういうことなのかは
こんな毎日を通して、少しずつ教えてもらってる
そんな気がするにゃん
いっつもわたしの書くことって
結論ないんだよね
吐き出しておしまい
それで納得して終わりも自己満足だけど
それで吐き出して、
準備運動にしてるのかもしれない
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プロフィール
HN:
佐藤裕美
年齢:
39
性別:
女性
誕生日:
1985/06/27
趣味:
幸せづくり
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